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佐藤一郎 (政治家)[さとう いちろう] 佐藤 一郎(さとう いちろう、1913年5月1日 - 1993年2月26日)は、昭和時代に活躍した日本の官僚・政治家。参議院議員、衆議院議員。経済企画庁長官。自由民主党に所属した。 == 来歴・人物 == 一高、東京帝国大学を経て、1937年に大蔵省入省。大蔵事務次官を経て政界入り。1967年2月の参議院神奈川県選挙区の補欠選挙で当選、1968年の第8回参議院議員通常選挙で再選された。1970年に第3次佐藤内閣で経済企画庁長官として初入閣。翌年の内閣改造で退任。 1974年、2期目の任期満了で参議院議員を退任。その後は衆議院議員への転身を試み、1976年の第34回衆議院議員総選挙に、引退する藤山愛一郎の後継者として旧神奈川4区から出馬したが、落選。3年後の1979年、第35回衆議院議員総選挙で当選し、以後衆院議員に4回連続当選。1990年、息子の謙一郎にあとを譲って引退。 1993年2月26日死去。享年79。 元厚生大臣の金光庸夫は義父。前衆議院議員(民主党)の佐藤謙一郎は長男。
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